チャンドラー×村上春樹= [海外の小説]
去年,
村上春樹の本が,本屋さんでやけに大々的に売られているなぁと思ったら,
彼のとった「フランツ・カフカ賞」が,2年連続でノーベル文学賞に直結していたかららしい。
そういえば
最後に村上春樹を読んだのは,いつだったろう。
15年前…下手をすると20年前かな。
その村上春樹が,
レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」の新訳を出したというので読んでみた。
なぜ今ごろ新訳?
訳者は「あとがき」(というか「解説」というか「評論」というか…これだけで数十ページある)の中で,もっともらしいことを書いているが,ほんとのところはどうなんだろ。
ま,それはともかく。
たしかに,村上さんがあとがきで言うように,清水訳には省略がある。
たとえばテリー・レノックスと2度目に会ったときの,マーロウとタクシー運転手の会話。
「サンフランシスコだね」
「フリスコだよ」と,彼はいった。「ありがとう」…
原文では,
'San Francisco,' I said mechanically.
'I call it Frisco,' he said. "The hell with them minority groups. Thanks.' …
下線部が訳されていない。
村上訳は,原文に忠実。
「サンフランシスコ」と私は機械的に口にした。
「俺はフリスコと呼ぶ」と彼は言った。「少数民族を尊重しろなんて御託は願い下げだね。ありがとよ」…
(この部分を訳す際の苦労は,あとがきに詳しい)
ただ細かいことを言えば,たとえば冒頭で
「テリー・レノックスの左脚が置き忘れられたみたいに外に垂れ下がっていたので…」
とあるところ,原文は,
because Terry Lennox's left foot was still dangling outside, as if he had forgotten he had one.
「置き忘れた」じゃなくて「(左脚が)ついているのを忘れた」という意味なんだが…
なんてところもあったりするけど,ま,いっか。
閑話休題。
昔の翻訳ものには,日本語としてみた場合,相当ひどいものもある(たとえばK氏とかU氏とか)けれど,清水さんの訳にはほとんど違和感がないと思っていた。
だが,村上さんのは,もっと違和感がない。なさすぎるくらい。
訳した,というより,村上さんが書いた,という雰囲気。
表紙デザインも,チャンドラーっていうより「村上春樹の新作」って感じだし…
というわけで,
チャンドラー×村上春樹=村上春樹の新作と思うべし?
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ところで,
「読み直し」というつもりで読んでいたのだが,
何ページ読んでも,おぼえている部分が出てこない…
なんだ。
買っただけで,読んでなかったのね(^^;
おかげで,予想外に楽しんで読めた。
なお,
チャンドラーの到達点であるこの作品,
好きな人にはたまらないけれど,
チャンドラー未体験の方は,
「大いなる眠り」から入るのがおすすめ。
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